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ヒトのコトバ


本でも雑誌でも 人の言葉を読む事の出来ない時期が長かったな と、ふと思い出しました。
自伝等々 その人がどう生きて来たかの言葉を 素直に吸収したり自身に重ねたり 全く出来ませんでした。
自伝を出したり、取材を受ける様な方々は 輝いている方が多いので その姿を見れば尚更の事。
自分がくすんで見えて仕方がなかった。
人間を構成しているベースが違う。 と まるで宇宙人を見るかの様に 考え方、向き合い方までを否定しておりました。
そんな曲がった見方しか出来ない自分に また嫌悪感を持つ悪循環。


最近は雑誌の取材をして頂くと 皆さん最新号をプレゼントして下さいます。
当たり前の事の様に広げて読んでいて あ と気が付く。
いつの間に読める様に成ったのかしら。
百恵さんの『蒼い時』も積極的に購入して読んでいましたので 少し前の事なのでしょうね。
時代も違えば 環境も違いますし 何より積み重ねて来たものが違うので 全てが自分に返って来る事では勿論無いのですが 何処か自分との繋がりを探してヒントに出来たり それはそれと客観的に読めたり。
良い距離感を持てる様に成ったのだと感じます。


ここから広がる何かに また期待が膨らむのです。





…と書きながら 感じてしまいました。
何かが疼きました。
まだ心の奥底にくすぶっている曲がった気持ちに 引っ張られない様に 邁進するのです。

本日


少しずつ 時間を割ってスタジオに入っていたのですが どの部屋にも この子が。





縁があるんだわ きっと。

手元が狂って


先日の書道教室も終わりを迎える頃 我が師が
『あ!』
と急に叫び出したので 一体何事かと駆け寄ってみると



その日は平仮名の『ら』『ぬ』『が』『し』『み』 を伝授して頂いておりました。



これは果たして 2名と捉えられるのか 3名と捉えられるのか。

区民会館の管理のおばちゃんに 訊いてみれば良かったです。